11月30日(日)、武蔵総社 大国魂神社にて、勇武館道場が天然理心流の奉納演武を行いました。
ここ、大国魂神社と天然理心流とは深いご縁が御座います。文久元年(1861・勇28歳)8月、近藤勇の天然理心流4代目襲名披露と、野試合を行ったところです。
現在でも、大国魂神社 猿渡宮司様はじめ、ご神職の皆様方の格別のお取り計らいにより、毎年秋、私共勇武館道場が天然理心流の奉納演武をさせていただいております。
今年は、近藤勇生誕180周年という事で、門人一同、いつになく緊張感を持って、精一杯の演武を披露させていただきました。素晴らしい演武会でした。 が、近藤先生の感想は如何に、と気になりました。 にっこり か、はたまた 雷 か・・・・・・「うーん、むずかしいなー、おめえ達にぁ・・・・(もぐもぐ、ぼそぼそ) 命懸けでやってねーからよ!」
近藤勇が天然理心流4代目襲名披露の後、行った野試合は、神社裏手の天神山だったといわれております。勇が総大将となり本陣に陣取り、、総勢90名程が紅白二手に分かれ都合3回戦い、2勝1敗で赤軍が勝ったとの事です。試合はまさに実戦さながらで、戦士たちは自分を守る事で精一杯だったようです。
天然理心流 流祖の言葉に 「~~天然理心流免許皆伝者は、愛国の志を持ち、社会、公共,国利、民福を考え、本流を発揮し、三軍を指揮して天下を治平に導け~~」と諭しております。
近藤勇は、この野試合の戦況をつぶさに見届け将来に、期するものがあったのでしょう。
2年後の文久3年2月、勇達一行は尽忠報国・尊王攘夷の志を高く掲げ、天朝を奉じ、14代将軍徳川家茂公を警護のため、上洛しました。勇30歳、歳三29歳でした。